2010年4月24日土曜日

ベビーシッター。

どうも。町奴です。いかがですか、調子は。


そうそう、先月より、ベビーシッターを始めました。というか、紹介で突っ込まれました。
赤子を産んだことも育てたこともない私めに勤まるかどうか相当不安だったので、
尻込みしながら「いや週一くらいしか」「正直自信ないのでねえ」などと、できる限り先方から断って頂けるよう水を向けていたのですが、
どうにも人が見つからなかったり、保育園に入れなかったりしたらしく、
やむを得なしに、こちらにお鉢がずいずいとまわってまいりやした。


うへえ。
自信なし。


仕方ないので、初日の前に、身内の家にオムツ変えの練習へ。
子供とはいえ、立派なウンチ。
ウンチは、自分のだって好きではない。慣れなくてはな。


さて初日。
1歳半の子供と、おばあさまと、町奴との三人で、
一日を過ごす。
1歳半は、自立心旺盛で。
どうにか立ってやろう、歩いてやろうと必死であがく。
シッターはそのお手伝い。
手を出されたら補助要請、口をあけたら飲料の要求、
不快な顔はオムツ交換要請。



意外とわかるものだ。



というか、大人よりわかりやすくて助かる。
勘所を間違えなければ、付き合いやすいことこの上ない。


大人と子供の違い。
それは言葉と、運動能力、かと。


大人になるにつれ、さまざまな能力を獲得していくであろう子供。
(あ、まっとうな暮らしが営めればの話だが。)
能力を獲得するにつれ、人格的な何かが変化していく。


良いも悪いもない、それが成長というものだ。


人の子とはいえ、長い時間をすごすと、どんなものかがわかってくる。
彼らは素材であり、リアクターなのだ。
ある素材が、世に放り出され、さまざまな刺激に接し、それに対する反応をおこすことで思考や言葉を身につけながら、細胞分裂を繰り返し、成人になってゆく。
そして、やがて老い、死ぬ。
永遠に、その繰り返し。


一生の長さは人それぞれだし、誰にも把握しきれるものじゃない。
でもね、生まれたての子供と一緒にいると、さすがに自分はまったくもって彼らとは経てきた時間が違うということを痛く感じてしまうのでありんすよ。
大人としての自覚、ってものなんでしょうかねえ。


いや、本当に勉強になりんす。
一生かかっても得られないかも知れないことを、やつらはおしえてくれます。


だからもうちょっとね、がんばってみようかと思いましたですよ。
ええ。


幸せってえのは、本当にちっぽけなものかも知れませんでやすねえ。

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